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神戸地方裁判所 昭和48年(ワ)380号 判決

原告

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右訴訟代理人

上原洋允

外二名

右指定

小林茂雄

外七名

被告(昭和四八年(ワ)第三八〇号)

藤原久代

外三三名

右訴訟代理人

吉川武英

外八名

主文

原告に対し

被告藤原久代は、別紙目録(一)記載の土地につき、

被告山西ミチエ、同田代美代子、同田中平二は、別紙目録(二)記載の土地の各三分の一宛の共有持分につき、

被告宮脇右一郎、同宮脇武夫、同宮脇志げ子、同上田ふさ子、同宮脇たね子は、別紙目録(三)記載の土地につき、

被告生友春雄は、別紙目録(四)記載の土地につき、

被告紀伊義一は、別紙目録(五)記載の土地につき、

被告山西ミチエ、同田代美代子、同田中平二は、別紙目録(六)記載の土地の亡田中栄太郎の有した八分の一の共有持分につき、被告森本幸子、同森本和子は、同目録記載の土地の亡森本一雄の有した八分の一の共有持分につき、

被告岩本岩雄は、別紙目録(七)記載の土地の二分の一の共有持分につき、被告岩本善雄、同岩本しづは、右土地の岩本律二が有した二分の一の共有持分につき、

被告津村稔子は、別紙目録(八)記載の土地につき、

被告山下たつ、同山上良三、同山上太郎、同山上延吉は、別紙目録(九)記載の土地につき、

被告長谷川長治、同加納治男は、別紙目録(一〇)記載の土地の各八分の一の共有持分につき、

被告藤谷貞治は、別紙目録(一一)記載の土地につき、

被告元古正之、同中西公子、同湯室全子、同千田薫、同今北美智子、同元古隆彦、同宇野綾子、同岡嵜ステは、別紙目録(一二)記載の土地につき、

何れも昭和一九年売買を原因とする所有権又は共有持分権移転登記手続をせよ。

訴訟費用中各事件につき貼付された印紙相当額は各該当事件被告らの負担、その余は、全額被告らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一

一被告らにおいて明らかに争いのない原告主張の事実

原告主張の次の事実は、被告らにおいて明かに争わないので自白したものとみなすべきである。

(一)  昭和一八年頃兵庫県美嚢郡別所村、加古郡母里村、八幡村三ケ村の地域にわたりいわゆる三木飛行場を設置する計画が樹てられ、昭和一九年秋頃には一応飛行機が発着できる程度に右工事が進捗していたこと、

(二)  本件各土地(別紙目録(一)ないし(一二)記載の各土地)の位置が右飛行場の区域内に含まれていたこと、

(三)  戦後、右飛行場が廃されその用地は農業用地として開拓されたこと、

(四)  被告らにおいて右各土地の占有を失つたまま本訴に至るまで、国に対してその売渡の申立をしたことはあるが、その占有の回復について何らの請求もしていないこと、

(五)  右各土地については、何れも当時の所有者名義の登記が存していて、未だ国に対して所有移転登記は為されていないこと、

二三木飛行場建設及びその用地の買収の概要

〈証拠省略〉

(一)  右各証拠を綜合すれば、右飛行場の設置は、当時別途その設置を進められていた名古屋清洲飛行場、淡路島榎列飛行場と共に中部軍経理部の所管において行われたこと、

(二)(イ) 〈証拠〉を綜合すれば、中部軍経理部係官らは、先づ現地を踏査して飛行場建設予定地を確定し、関係自治体の長らに対して飛行場用敷地の買収等につき協力を要請し、且つ、現地において関係住民らにそのことを説明し、その予定地内の土地所有者らに対して飛行場用地として土地を売渡すよう要請したこと、

(ロ) 〈証拠〉を綜合すると、

(1)  中部軍経理部では、関係自治体の長、土地所有者らに対し他の飛行場建設の場合の例にならつて、その買収価格を各坪当り田は三円二〇銭(小作分五〇銭)、畑二円(小作分三〇銭)、山林一円二〇銭(立木別)、宅地五円、墓地三円、溜池一円五〇銭等その外移転料、立木、立毛、水利権等補償額を決定呈示したこと、

(2)  右呈示価格は、当時の時価と比べて約三割方高額であつたこと、

(ハ)  〈証拠〉を綜合すれば、軍は、各自治体の長らに右協力を依頼し、その事務費報償金等を交付したこと、

(三)  〈証拠〉を綜合すれば、右別所村では、土地買収、地上物件移転、収去等に関する事務を専門に処理する為の係を臨時に設け、その為の職員を雇入れ、関係部落の区長を土地買収のための委員に任命して、被買収物件の調査をさせたこと、

(四)  〈証拠〉を綜合すれば、関係土地所有者らは、時局柄軍の買収申込を拒絶することもできず、戦争遂行に協力する意味で、進んでその土地等を軍に売渡し、且つ速やかにその敷地を軍に引渡し、又その他の住民らも、勤労奉仕等により飛行場用地の地均らし等飛行場建設に協力したこと

がそれぞれ認められる。これら認定に反する資料はない。

(若し認められるとすれば他の被告らにも影響するので、次の被告らの主張について特にここで判断する。即ち、被告山西ミチエら一六名の代理人弁護士吉田賢一、同吉田寛二は、軍や関係自治体の長からの話は、各土地の売買の話では全然なくて、これらの一時使用を求めるものであつたとか軍の強圧による意思表示である旨又は国家総動員法による土地の強制使用である旨主張する。証人〈省略〉、被告〈省略〉ら各本人らはこの主張に添う旨の供述をしているけれども、右各供述は、同代理人において第四六五号事件につきその成立を認める〈証拠〉に照し、これらを信用できない。前記認定のとおり正当な土地の売買であるし、次に判断するとおり軍の強圧によるものでもないから、これら抗弁は採用しない。

また、被告藤原久代の代理人は、その主張第二項、第三項のとおり同被告又は藤原利市の意思表示は、意思決定の自由を奪われた状態でのもので無効である。若し仮に然らずとしても軍の強圧による強迫によつてした意思表示であるから取消す旨主張するが、そのことを認め得る証拠はない。右証人〈省略〉の証言は信用しない。却つて、右認定のとおり、土地の買収価格は時価より高額であつたこと、証人〈省略〉の証言によつて認められるとおり、軍においては軍民離反を虞れ軍が威圧を以て行うものと感じさせぬよう慎重に配慮して話を進めたこと等から見て、積極的にその土地所有者らが買収されるよう働いたとは考えられないにしても右契約の際意思の自由を全然喪失していたとか、軍の威圧に屈したと云うものではないことが認められる。)

三三木飛行場用地買収についての手続

〈証拠〉を綜合すれば、

(一) この種買収の手続は、通常

(イ)  中部軍経理部は、

(1)  関係自治体の長を通じて又自ら土地所有者に対して土地の売渡方の承諾を求め、

(2)  その手続のため、右長に対し買収土地の各人別各筆調書等を作成し、又その補償料の請求及び受領の権限の委任を受けて、その旨の委任状を土地所有者らかから徴集して呈出するよう求め、

(3)  その補償料等は一括して右長に対して交付し、

(4)  土地の所有権移転登記についての委任状、印鑑証明書等必要書類を整えて軍に提出するよう求め、

(ロ)  自治体の長は、右各書類を整えて軍に交付し、同村内の物件に対する補償料を一括して受取り、これらを土地等被買収者に配付し、

(ハ)  土地等所有者らは、右委任状等を整えて右自治体の長を通じてこれらを軍に交付し、同長から補償料を受ける方法で為されていたこと、

(二) 本件三木飛行場用地の買収手続も右によつて行われ、別所村においては、昭和一九年二月頃同村長において右各書類を整えて軍に提出し、同年一一月頃軍から一括してその補償料を受取り、その頃各被買収者に対してこれを配付し、土地所有者らは立毛、立木、建物等を収去し、その用地を軍に引渡したこと、

(三) ところが、不動産の移転登記手続は、飛行場工事の着手を急いだこともありその書類の調整の遅れ等のため右代金等支払と同時には必しも行われず自然遅れる傾向にあつたこと、がそれぞれ認められる。

四三木飛行場用地として買収された後の経過

(一)  〈証拠〉によれば、右買収された土地は、直ちに国に引渡され、建物の移築、麦の刈取り、立木の伐採等を終り多数の勤労奉仕隊等を動員して、滑走路、格納庫その他の建物を建築し、昭和一九年七月頃には一応飛行場として飛行機が発着できる状態となり、終戦時まで軍においてこれを使用していたことが認められる。

(二)  〈証拠〉によれば、右飛行場用土地、建築物は昭和二〇年一〇月一〇日陸軍省から大蔵省(大阪財務局)に引継がれ、昭和二三年七月二四日大阪財務局から京都農地事務所に管理換され、農業用地として開拓されたことが認められ、その大部分は、開拓民、地元農民らに自創法・農地法の規定に基き売渡された。このことは当事者は明かに争わない。

(三)  〈証拠〉を綜合すれば、軍において三木飛行場用地として買収した土地のうち、加古郡母里村、八幡村の土地はその大部分について国に対して所有権移転登記手続が履践されたが、美嚢郡別所村所在の土地については、鋭意その手続の進捗に心掛けたものの係員の交替、登記申請用書類の整備の遅れによつて、軍の再度の要求にも拘らず登記は、未了であつたことが認められる。しかし、〈証拠〉を綜合すれば、右未登記の土地についてもその後順次移転登記が為され、現在では相当程度の土地についてこれが完了していることが認められる。

(四)  〈証拠〉を綜合すれば、飛行場用地が農地化され、自創法又は農地法に基き農民らへ国の売渡が実施されるに及んで被告ら多数の者らは、結束してその結果に不満を唱え、右売買を否認するに至つたことが認められる。

第二

右認定の事実を踏まえて各事件について検討する。

一昭和四八年(ワ)第三八〇号事件についての判断

(一) 被告藤原久代の夫の父藤原利市に当時同被告を代理して本件契約をするについて代理権が存在していた。即ち、

(イ)  同被告は、その夫の死後も舅藤原利市の家族として同一世帯で生活し、右利市は戸主として藤原家の財産及び家族の財産をも一切管理していたこと、別紙目録(一)記載の土地も右利市において昭和一五年頃訴外宮脇某より買入れ被告名でその所有権移転登記を経由し、これらを他へ賃貸していたことは、同被告において明かに争わない。

(ロ)  同被告本人尋問の結果によれば、同被告は、一切を利市に任せ切りで右土地の所在もその使用状態も知らなかつたことが認められる。

以上の事実によつて利市は、本件売買について同被告の代理人として一切の手続を為したものと推定することができる。

(二) 〈証拠〉を綜合すれば、藤原利市は被告藤原列代の代理人として別紙目録(一)記載の土地を代金七、四五五円七五銭(右土地のうち一一七〇番七は宅地として、田については小作人の分を外して)で、飛行場用地として軍に売渡し、その代金は別所村々長を経てこれを受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

(三)  同被告の自由意思を欠くとか、強迫による意思表示であるとの主張が採用できないことは第一の段階で判断したとおりである。

(四)  なお、同被告は登記請求権の時効消滅のことを主張している。しかし、登記請求権は物権的請求権であつて独立して消滅時効には罹らない。

(五)  また、同被告の本件土地買受権の主張も本件売買が斯る条件付であつたことを認め得ないし、そのことは本件登記請求の問題とは別の問題であつて登記請求拒否の理由とはならない。

(六)  被告の右各抗弁は採用しない。

(七)  右のとおりであるから、原告の同被告に対するその余の主張については、判断しない。

二昭和四八年(ワ)第四六一号、第四八一号事件についての判断

(一)  訴外田中栄太郎が被告田中平二、同山西ミチエ、同田代美代子及び亡田中新一の父で昭和二四年二月六日死亡し、また、亡田中新一は昭和二〇年二月一三日死亡、各被告らがその遺産を相続したこと、訴外田中栄太郎は、生前田中家の戸主でその財産及び家族の財産をも管理処分する権限を有する地位にあつたことは、同被告らにおいて明らかに争わない。

(二)  被告森本幸子、同森本和子が昭和四六年七月三一日その父森本一雄の死亡によつてその遺産を相続したことは、同被告らにおいて明らかに争わない。

(三)  右田中栄太郎は、自ら所有していた土地一町歩余を飛行場用地として軍に買収されたことになつていることは被告田中平二、同山西ミチエ、同田代美代子において明らかに争わない。

(四)  〈証拠〉によれば、被告田中平二は、軍が買収した飛行場用地のうちの土地一〇筆七反九畝余を、自創法の規定によつて国から売渡を受けていることが認められる。

(五)  〈証拠〉によれば、別紙目録(六)記載の土地の当時の共有者らは、田中栄太郎、森本一雄を除いて何れも、その共有持分について、その買収を認め国に対して共有持分権移転登記手続を了していることが認められる。

(六) 〈証拠〉に右各認定の事実を綜合すれば、亡田中栄太郎は、被告田中平二、同山西ミチエ、同田代美代子及び同田中新一の代理人として、別紙目録(二)記載の土地を代金三、二九〇円一八銭で亡田中栄太郎、同森本一雄ら共有者一同は、別紙目録(六)記載の土地を代金一五、五二六円五〇銭で各飛行場用地として軍に売渡し、前者については亡田中栄太郎において自己所有の土地買収代金と共に(合計金一三、四五五円二〇銭)別所村々長を経て受取り、後者は相共有者田中大治において別所村々長を経て一括受取つたことが推認される。この推認を覆す資料はない。

三昭和四八年(ワ)第四六五号事件についての判断

(一)  被告宮脇右一郎、同宮脇武夫、同宮脇志げ子、同上田ふさ子、同宮脇たね子がその父宮脇辨治が昭和三四年一月二六日死亡したことによつてその遺産を相続したことは、同被告らにおいて明かに争わない。

(二)  〈証拠〉によれば、亡宮脇辨治は、別所村石野部落の区長として本件用地買収委員として飛行場建設のため協力する立場にあつたものであることが認められる。

(三) 〈証拠〉に、右事実を綜合すれば、亡宮脇辨治は、別紙目録(三)記載の土地を代金四、一〇三円三〇銭で飛行場用地として軍に売渡し、別所村々長を経てその代金を受領したことが推認される。

この推認を覆す資料はない。

四昭和四八年(ワ)第四七三号事件についての判断

(一) 〈証拠〉によれば、被告生友春雄は、同被告と生友作次との共有の土地を飛行場用地として軍に売渡し、その代金一三、九九三円二〇銭を自ら受取つたこと、又〈証拠〉によれば同被告の祖父生友惣太郎、父波次郎はそれぞれの所有地を買収され、前者は三一円二〇銭、後者は四三二円を受領していることがそれぞれ認められる。〈証拠〉は、右認定の障害とはならない。

(二) 〈証拠〉によれば、同被告の父波次郎は、軍が買収した飛行場用地のうちの土地四筆三反七畝二〇歩を自創法に基き売渡を受けたことが認められる。同被告は、昭和四七年八月七日これを同被告において相続したことは争わない。

(三) 〈証拠〉に右事実を綜合すると同被告は、その所有に係る別紙目録(四)記載の土地を代金一、一三六円四〇銭で飛行場用地として軍に売渡し、別所村々長を経てその代金を受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

五昭和四八年(ワ)第四七五号事件についての判断

(一)  被告紀伊義一本人尋問の結果によれば、同被告は、本件売買の直前、その長兄紀伊陸治の紹介で、その疎開用として次兄紀伊只雄と共に別紙目録(五)記載の土地を買受けたこと、右手続は一切兄隆治に依頼し、その管理についても同様で同被告はその土地の所在も知らない状態であつたところ、同人より本件土地が軍に買上げられ、ここに飛行場が出来たことを聞いていたことが認められる。

(二) 〈証拠〉に右本人尋問の結果を綜合すれば、同被告の代理人として紀伊隆治は別紙目録(五)記載の土地を代金一二八円八〇銭で飛行場用地として軍に売渡したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

六昭和四八年(ワ)第四八五号事件についての判断

(一)  〈証拠〉を綜合すれば、被告岩本善雄、同岩本しづ、同岩本岩雄は、その共有に係る別紙目録(七)の土地を代金二六〇円四〇銭で飛行場用地として軍に売渡し別所村長を経て被告岩雄においてその代金を受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

七昭和四八年(ワ)第四九三号事件についての判断

(一)  亡谷河悦太郎が、昭和二一年九月一八日死亡し、被告津村稔子がその遺産を相続し別紙目録(八)記載の土地の所有者となつたことは、同被告において明かに争わない。

(二)  〈証拠〉によれば同被告の母谷河チヨコは、軍が買収した本件飛行場用地の中の土地三筆一反八畝余を自創法の規定により売渡を受けていることが認められる。

(三) 右(二)(三)認定の事実に〈証拠〉を綜合すれば、亡谷河悦太郎は、右土地を代金四、六六五円六〇銭で飛行場用地として軍に売渡し別所村長を経てその代金を受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

八昭和四八年(ワ)第四八二号事件についての判断

(一)  山上延治郎が山上太吉の家督を相続し、別紙目録(九)記載の土地の所有者となつたこと、山下延治郎が死亡し、被告山上たつ、同山上良三、同山上太郎、同山上延吉がその遺産を相続したこと、昭和一九年頃原告が飛行場を建設したことは、当事者間に争いがない。

(二) 〈証拠〉によれば、亡山上延治郎は、右記載の土地の外加古郡母里村地内に存した土地一〇九筆五町七反余を本件飛行場用地として軍に売渡し、昭和二〇年一一月二九日その所有権移転登記を経由したことが認められる。

(三)  〈証拠〉、被告〈省略〉尋問の結果によれば、亡山上延治郎の土地は、訴外井沢儀三郎が管理していたことが認められる。

(四) 右(二)(三)の事実に〈証拠〉を綜合すれば、亡山上延治郎は、その代理人井沢儀三郎を介して別紙目録(九)記載の土地を飛行場用地として軍に代金五、九五五円で売渡し、右井沢儀三郎において別所村長を経由してその代金を受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

九昭和四八年(ワ)第四八七号事件についての判断

(一)  別紙目録(一〇)記載の土地が被告長谷川長治同加納治男らの被相続人長谷川多三郎と訴外井沢用三の被相続人井沢卯三郎の共有であつたところ、大正一一年八月二三日その二分の一の持分を右被告らと訴外長谷川勉次、井沢さかえの四名で、一方昭和一四年八月二七日その二分の一一の持分を右井沢用三がそれぞれ相続してその共有者となつたことは、当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉によれば、右共有者のうち二分の一の共有持分権訴外井沢用三、各八分の一宛の共有持分権者長谷川さかえは、本件買収の事実を認め、その持分権の移転登記手続を完了していることが認められる。

(三)  本件の場合軍は、その共有者の一部からその共有持分のみを買収することによつては、その目的を遂げ得ないのである。従つて、売買はその全部でなくてはならない。被告長谷川長治は本人尋問においてこの土地が飛行場区域に入つていることは知つていたと供述している。

(四)  〈証拠〉によれば当時右被告らの母しかが長谷川家の世帯主でその財産を管理していたこと、本件土地買収に際しても共有者である子供らを代理して契約を結んだことが認められる。右被告らは、当時三木町に居たのであるから斯る代理を母にさせる理由は全然なかつた旨主張しているが、当時同被告らとしては一切を母に任せて他出していたもので、右しかは、その子らを代理する権限を持つていたものと推認できるから右主張は採用しない。

(五) 〈証拠〉に右事実を綜合すれば、右被告ら、長谷川勉次、長谷川さかえは訴外長谷川しかを代理人として又井沢用三は自ら別紙目録(一〇)記載の土地のそれぞれの持分を合計一、六四一円六〇銭で飛行場用地として軍に売渡し、右井沢用三において別所村長を経由してその代金を代表して受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。

一〇昭和四八年(ワ)第八三九号事件についての判断

被告〈省略〉本人尋問の結果及び〈証拠〉を綜合すれば、同被告は、別紙目録(一一)記載の土地を代金一〇、六三二円五〇銭で飛行場用地として軍に売渡し、同被告の代理人として母藤谷まさえが別所村長を経てその代金及び移転補償料等を受領したことが認められる。

一一昭和四九年(ワ)第六〇号事件についての判断

(一)  別紙目録(一二)記載の土地が元古貞二の所有であつたこと、同人が昭和三五年九月一五日死亡した事実は当事者間に争いなく、被告元古正之、同中西公子、同湯室全子、同千田薫、同今北美智子、同元古隆彦、同宇野綾子、同岡嵜早希ステにおいて右元古貞二の遺産を相続したことについては被告らにおいて明らかに争わない。

(二) 〈証拠〉を綜合すれば、亡元古貞二は別紙目(一二)録記載の土地を代金四、五一一円七〇銭で飛行場用地として軍に売渡し、別所村長を経てその代金を受領したことが推認される。この推認を覆えす資料はない。右被告らは〈証拠〉に押捺された元古貞二の印影を争つているが、〈証拠〉によつて、右印影は、明らかに亡元古貞二のものであることが認められる。

第三結論

してみれば、右売渡人又は、その遺産相続人である被告らは、原告に対しそれぞれ主文掲記のとおり別紙目録(一)ないし(一二)記載の土地につき所有権又は共有持分権移転登記手続を為すべきである。

よつて、原告の請求は、全部正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(桑原勝市)

目録(一)〜(一二)〈省略〉

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